全国高校サッカー選手権で2年連続得点王を獲得するなど、長崎・国見時代から稀代の怪物ストライカーとして眩いスポットライトを浴び、将来の日本代表を背負うと期待された平山相太(32)が26日、所属するベガルタ仙台を通して現役引退を発表した。
平山は10年半所属したFC東京から昨シーズンにベガルタへ完全移籍したが、開幕直後に左くるぶし付近の腱を脱臼。当初は全治まで約12週間と診断されるも回復が長引き、プロ入り後では初めて公式戦に出場することなくシーズンを終えた。
それでも昨年末にはベガルタとの契約を更新。クラブの公式ウェブサイトで「悔しさを原動力に、ゴールを決めてチームの勝利に貢献したい」と抱負を語った約1ヶ月後に、電撃的な引退を決意した。26日に更新されたウェブサイトでは、断腸の思いが綴られている。
「度重なるケガのため、現役から退き、引退することを決断いたしました。開幕前の大事な時期にクラブに迷惑を掛けてしまうことを申し訳なく思っています。また、決断を尊重してくれたことに感謝しています」(原文のまま)
190cm、85kgの恵まれた体躯に搭載された平山の類稀な潜在能力が、いよいよ開放されると期待を抱かせたのは、2009シーズンの後半だった。敵陣で潰れ役になって味方を生かす術を覚え、攻守両面で労を惜しまずに走り、自らも肝心な場面でゴールを決める。
ハイライトは川崎フロンターレを2‐0で下した、11月3日のヤマザキナビスコカップ決勝。高さを生かして相手の攻撃をはね返した直後に約70mを走破し、ダイビングヘッドからダメ押しとなる2点目を見舞った後半14分だった。
国見から進学した筑波大学を、2年生だった2005年夏で休学。オランダのヘラクレス・アルメロとプロ契約を結ぶも、約1年後に帰国し、FC東京入りした平山は時間の経過とともに輝きを失った。
迎えた2009シーズンの序盤は、身心両面で袋小路に入り込んでいた。試合に絡めず、東京・小平市内のクラブハウスの間近に住んでいたにも関わらず、練習に遅刻したこともあった。
「サッカー人生が、このまま先細りで終わってしまうのではないか」
心のなかに大きな不安を抱えていても、どのようにして苦境を好転させていいのかがわからない。見かねた当時の城福浩監督(現サンフレッチェ広島監督)に、カミナリを落とされた。
「試合に出られそうなときと、そうでないときとで練習中のプレーにムラがある。サッカー選手は寿命が短い。時間の使い方がもったいないのではないか」
小嶺忠敏監督(現長崎総科大附高監督)に鍛えられた国見を卒業してからは、自分を真剣に怒ってくれる指導者に出会っていなかった。城福監督の言葉が心に響いたと、平山は後に語っている。
「大好きなサッカーを仕事にして、お金までもらっているのに。サッカーに人生をかけていたのならば、普通に考えれば遅刻などありえない。自分を見つめ直して、もっとしっかりしなければいけないと何度も言い聞かせました」
つづく
1/27(土) 5:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180127-00000001-wordleafs-socc
平山は10年半所属したFC東京から昨シーズンにベガルタへ完全移籍したが、開幕直後に左くるぶし付近の腱を脱臼。当初は全治まで約12週間と診断されるも回復が長引き、プロ入り後では初めて公式戦に出場することなくシーズンを終えた。
それでも昨年末にはベガルタとの契約を更新。クラブの公式ウェブサイトで「悔しさを原動力に、ゴールを決めてチームの勝利に貢献したい」と抱負を語った約1ヶ月後に、電撃的な引退を決意した。26日に更新されたウェブサイトでは、断腸の思いが綴られている。
「度重なるケガのため、現役から退き、引退することを決断いたしました。開幕前の大事な時期にクラブに迷惑を掛けてしまうことを申し訳なく思っています。また、決断を尊重してくれたことに感謝しています」(原文のまま)
190cm、85kgの恵まれた体躯に搭載された平山の類稀な潜在能力が、いよいよ開放されると期待を抱かせたのは、2009シーズンの後半だった。敵陣で潰れ役になって味方を生かす術を覚え、攻守両面で労を惜しまずに走り、自らも肝心な場面でゴールを決める。
ハイライトは川崎フロンターレを2‐0で下した、11月3日のヤマザキナビスコカップ決勝。高さを生かして相手の攻撃をはね返した直後に約70mを走破し、ダイビングヘッドからダメ押しとなる2点目を見舞った後半14分だった。
国見から進学した筑波大学を、2年生だった2005年夏で休学。オランダのヘラクレス・アルメロとプロ契約を結ぶも、約1年後に帰国し、FC東京入りした平山は時間の経過とともに輝きを失った。
迎えた2009シーズンの序盤は、身心両面で袋小路に入り込んでいた。試合に絡めず、東京・小平市内のクラブハウスの間近に住んでいたにも関わらず、練習に遅刻したこともあった。
「サッカー人生が、このまま先細りで終わってしまうのではないか」
心のなかに大きな不安を抱えていても、どのようにして苦境を好転させていいのかがわからない。見かねた当時の城福浩監督(現サンフレッチェ広島監督)に、カミナリを落とされた。
「試合に出られそうなときと、そうでないときとで練習中のプレーにムラがある。サッカー選手は寿命が短い。時間の使い方がもったいないのではないか」
小嶺忠敏監督(現長崎総科大附高監督)に鍛えられた国見を卒業してからは、自分を真剣に怒ってくれる指導者に出会っていなかった。城福監督の言葉が心に響いたと、平山は後に語っている。
「大好きなサッカーを仕事にして、お金までもらっているのに。サッカーに人生をかけていたのならば、普通に考えれば遅刻などありえない。自分を見つめ直して、もっとしっかりしなければいけないと何度も言い聞かせました」
つづく
1/27(土) 5:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180127-00000001-wordleafs-socc
引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1517033273
4: 2018/01/27(土) 15:08:54.90 ID:CAP_USER9
オフ返上で走り込んだだけではない。午前中の全体練習に続いて午後もただ一人居残り、フィジカルコーチに頼んで特別に組んでもらった、体の切れをもっと出すためのサーキット練習に時間を割いた。
「自分の体の大きさを考えたら、通常の練習だけでは全身を使った運動がなかなかできなかったので」
成長の妨げになっていたマイペースぶりを返上し、貪欲に復活を目指した平山は5月の連休明けから1トップに定着。FC東京をナビスコカップ制覇だけでなく、J1でも5位に押し上げる原動力になった。献身的なプレーに、城福監督も思わず目を細めている。
「24時間のなかにおける、ファーストプライオリティーがサッカーになった。目に見える部分以外にも、自分を変えたいという意識がはっきりと伝わってくる」
覚醒しつつあった大器は、当時の日本代表を率いていた岡田武史監督の目にも留まる。若手だけの編成で臨んだ2010年1月のイエメン代表とのアジアカップ予選。初代表入りした平山は、いきなりハットトリックを達成する離れ業を演じる。
しかし、好事魔多し。2010シーズンは城福監督の更迭に揺れ、最終的にJ2へ降格したFC東京で7ゴールと気を吐いた平山だったが、1年でのJ1復帰を誓って残留した矢先に悪夢に見舞われる。
東日本大震災でリーグ戦が中断されていた、2011年4月に行われた練習試合で右足のすねを骨折。そのままシーズンを終えると、チームがJ1に復帰した翌2012年5月にも同じ個所を負傷。ピッチへ帰還したのは12月1日のベガルタとのJ1最終節、それも後半36分だった。
「試合勘も鈍るし、点を取る感覚も忘れかけていた。試合へ向けた準備や緊張感を持続させるのはもちろんのこと、90分間をフルに戦える体力もない。練習だけではコンディションが上がり切らないし、体も何となく締まっていなかった」
ほとんどを治療とリハビリに当てた2年間を、平山はこう振り返ったことがある。それでも、2012シーズンのオフに届いた、J2クラブからの期限付き移籍のオファーを受諾していたら、コンディションを取り戻すという意味でも、その後のサッカー人生は変わっていたかもしれない。
「いざFC東京を離れると考えたときに、このチームでプレーする自分しか想像できなかった」
熟慮を重ねた過程で、FC東京への愛着を再確認した平山は残留を決意。あえてイバラの道を歩むも2014年9月に右足首の内側を骨折して戦線離脱。患部に埋めた髄内釘を除去した影響で出遅れた2015シーズンも、公式戦出場はJ1での2試合だけにとどまった。
そして、心機一転、完全移籍とともに再起を目指した新天地ベガルタでも、けがの連鎖を断ち切れなかった。復活への手応えをつかめなかったのか。ウェブサイトに寄せた自身のコメントを、「度重なるケガのため」と綴り始めた心情は察してあまりある。
高校時代に放った圧倒的な存在感。大きかった期待の反動として浴びせられたバッシング。24歳のときに見せた輝き。そして、決して下を向くことなく、けがと愚直に戦い続けた姿。波瀾万丈に富んだサッカー人生に自ら終止符を打ち、平山は静かにユニフォームを脱いだ。
(文責・藤江直人/スポーツライター)
「自分の体の大きさを考えたら、通常の練習だけでは全身を使った運動がなかなかできなかったので」
成長の妨げになっていたマイペースぶりを返上し、貪欲に復活を目指した平山は5月の連休明けから1トップに定着。FC東京をナビスコカップ制覇だけでなく、J1でも5位に押し上げる原動力になった。献身的なプレーに、城福監督も思わず目を細めている。
「24時間のなかにおける、ファーストプライオリティーがサッカーになった。目に見える部分以外にも、自分を変えたいという意識がはっきりと伝わってくる」
覚醒しつつあった大器は、当時の日本代表を率いていた岡田武史監督の目にも留まる。若手だけの編成で臨んだ2010年1月のイエメン代表とのアジアカップ予選。初代表入りした平山は、いきなりハットトリックを達成する離れ業を演じる。
しかし、好事魔多し。2010シーズンは城福監督の更迭に揺れ、最終的にJ2へ降格したFC東京で7ゴールと気を吐いた平山だったが、1年でのJ1復帰を誓って残留した矢先に悪夢に見舞われる。
東日本大震災でリーグ戦が中断されていた、2011年4月に行われた練習試合で右足のすねを骨折。そのままシーズンを終えると、チームがJ1に復帰した翌2012年5月にも同じ個所を負傷。ピッチへ帰還したのは12月1日のベガルタとのJ1最終節、それも後半36分だった。
「試合勘も鈍るし、点を取る感覚も忘れかけていた。試合へ向けた準備や緊張感を持続させるのはもちろんのこと、90分間をフルに戦える体力もない。練習だけではコンディションが上がり切らないし、体も何となく締まっていなかった」
ほとんどを治療とリハビリに当てた2年間を、平山はこう振り返ったことがある。それでも、2012シーズンのオフに届いた、J2クラブからの期限付き移籍のオファーを受諾していたら、コンディションを取り戻すという意味でも、その後のサッカー人生は変わっていたかもしれない。
「いざFC東京を離れると考えたときに、このチームでプレーする自分しか想像できなかった」
熟慮を重ねた過程で、FC東京への愛着を再確認した平山は残留を決意。あえてイバラの道を歩むも2014年9月に右足首の内側を骨折して戦線離脱。患部に埋めた髄内釘を除去した影響で出遅れた2015シーズンも、公式戦出場はJ1での2試合だけにとどまった。
そして、心機一転、完全移籍とともに再起を目指した新天地ベガルタでも、けがの連鎖を断ち切れなかった。復活への手応えをつかめなかったのか。ウェブサイトに寄せた自身のコメントを、「度重なるケガのため」と綴り始めた心情は察してあまりある。
高校時代に放った圧倒的な存在感。大きかった期待の反動として浴びせられたバッシング。24歳のときに見せた輝き。そして、決して下を向くことなく、けがと愚直に戦い続けた姿。波瀾万丈に富んだサッカー人生に自ら終止符を打ち、平山は静かにユニフォームを脱いだ。
(文責・藤江直人/スポーツライター)
6: 2018/01/27(土) 15:09:24.04 ID:LCmUkqo90
振り向くなよ振り向くなよ~♪
8: 2018/01/27(土) 15:09:26.25 ID:hV2D2hdy0
この頃は高校サッカーもそれなりに関心あったよな
高校サッカーのスターがJリーグに入ってどうなるか気になった
今は高校サッカーなんて誰も興味ないオワコンなってしまった
サッカーファン自体が高校サッカーは残りカスとかデカイ声で言ってるからな
高校サッカーのスターがJリーグに入ってどうなるか気になった
今は高校サッカーなんて誰も興味ないオワコンなってしまった
サッカーファン自体が高校サッカーは残りカスとかデカイ声で言ってるからな
10: 2018/01/27(土) 15:10:18.81 ID:9BRdmSMb0
前俊を諦めない
13: 2018/01/27(土) 15:10:52.50 ID:1/c+0qw/0
久保君も今がピークになってしまうのか?
17: 2018/01/27(土) 15:11:53.11 ID:KLZKrG6P0
動きがノロかった
18: 2018/01/27(土) 15:12:14.86 ID:mfmGy7u/0
みんながハナクソ王子とか言うからだろ
20: 2018/01/27(土) 15:12:30.32 ID:K8QENWeJ0
こいつが選手権に出てきた時は日本サッカーは変わるとwktkしたもんだ
34: 2018/01/27(土) 15:16:31.79 ID:FjhdqXep0
>>20
国見高校の監督だけは、こいつの本質を見抜いていた。
練習嫌いと現状認識の甘さ。
一言でいうとハングリー精神がない。
にも拘わらず、世間がちやほやするものだから
監督は口が酸っぱくなるほど注意していたというが
全く変わらなかった。
国見高校の監督だけは、こいつの本質を見抜いていた。
練習嫌いと現状認識の甘さ。
一言でいうとハングリー精神がない。
にも拘わらず、世間がちやほやするものだから
監督は口が酸っぱくなるほど注意していたというが
全く変わらなかった。
23: 2018/01/27(土) 15:13:49.88 ID:TwNuZB3k0
平山への期待なんかかなり前に終わってたろ
24: 2018/01/27(土) 15:13:53.87 ID:h/vcMREI0
内面が緩そうなイメージがあったけどな
高校当時からスター性を感じる顔つきではない
高校当時からスター性を感じる顔つきではない
27: 2018/01/27(土) 15:14:16.92 ID:9BRdmSMb0
平山の肉体に岡崎のメンタルが宿れば最強だった
31: 2018/01/27(土) 15:15:25.07 ID:TUOAsutX0
190はデカ過ぎるわ
こんな体で走り回ってたら普通に壊れるわ
こんな体で走り回ってたら普通に壊れるわ
32: 2018/01/27(土) 15:15:51.83 ID:FN6qswmn0
体は最高クラス、技はそれなりに高いレベル、心は豆腐
これだもんなぁ
これだもんなぁ
38: 2018/01/27(土) 15:17:04.87 ID:fDRv2yxW0
センスもあったのにもったいない
39: 2018/01/27(土) 15:17:20.05 ID:r1BT3VdI0
メンタルが弱すぎたからだろw
40: 2018/01/27(土) 15:17:36.24 ID:HkVXxcmn0
高校サッカーがピークが大半だからな
41: 2018/01/27(土) 15:17:44.03 ID:LNYfHoD10
メンタル
これに尽きる
これに尽きる
この記事へのコメント
コメント一覧
高卒で鹿島か磐田にでも入ってれば日本最高のフォワードになってたんじゃないか?
残りは怪我が大成できなかった理由か…
もったいないなあ
フィジカル全面押し出すのは分かるけど小嶺さんが育てた選手がイマイチ代表で輝けない、若しくはJリーグ止まり(渡辺千真、兵藤、中村北斗)それと山村を見ると積極的な大学進学も小嶺さんの育成に問題があるように見える!
オランダ行ったけど言葉を勉強する気ゼロ、打ちとける気ゼロで、チームメイトから食事に誘われても断ってた。
平山に目をかけていたクラブ会長は可哀想に思っていて、オフに日本帰国するときに、来シーズンはちゃんと言葉勉強してこいよ、って送り出したのに
翌シーズンのためオランダ戻ってきたときは言葉の勉強ナニひとつせずに、車の運転免許取って戻ってきた。
理由は、人と一緒に過ごさなくても休日にドライブで遠出できれば憂さ晴らしになるから。
会長がキレて、お前にとって言葉を覚えることと、車を運転することと、どっちが大事なんだ?
って聞いたら、平山も逆ギレして「車だ!」って答えた。
っていう経緯でお払い箱になって帰国、瓦斯に入るって流れ。
あと、※5が意図的に三浦淳や大久保嘉人ら日本代表組を小嶺の教え子から除外してるのはナゼだ?
プロに行った教え子が全員成功する指導者などいねーわ。三浦大久保はそもそも技術が高く、それを伸ばすポジで伸び伸びと育てられた。
期待値ほど伸びなかった他の選手は、そもそも技術的にイマイチで、小嶺の心肺強化トレで鍛えられたアスリート的なストロングポイントが無ければ、むしろプロにすら引っかからなかったタイプのが多いだろ。
競争の激しいサッカーじゃなくて温い野球やってたら大谷レベルだっただろうに
お前、サムライゴールでも小嶺監督のせいにしたコメントしてたろ
平山に関しては高校時代が心身ともに充実してて、そこからはその貯金を切り崩していったようなキャリアだったろ
申し訳無いけど悪印象しかなかった
天才だの史上最高の逸材だの云われても、動きの異常なもっさりさもプラスされ
見れば見るほどその印象が拭える事はなかったな
大久保言うけど結局は早くに出戻りしたしなー
乾、本田、大迫、大久保以下のJユースあがりもたくさんいるだろ。。。
たぶん長谷部の言う代表で理解出来なかった年上の選手って間違いなく大久保だよ(笑)
真面目にやらずに無双できてしまう天才肌には往々にしてあることだけど、競えない環境で向上心を持ち続けるのも難しいよなぁ。
サッカー人生は短すぎて気づいた時には手遅れだろうし残念だな。
自立出来なきゃ、プロじゃ大成出来ないわ
かといってこれ以上増やせばさらにキレが悪くなるし
NBAにいた中国選手を思い出す動きの鈍さだわ
アスリートのそれじゃなかった徹頭徹尾甘ちゃん
あれじゃ大成出来ない
はにかみ王子
鼻くそ王子
競技は違うが皆大成しなかったな
プロに行けば同じ技量の対戦相手が居て、勝敗を分けるのがちょっとしたメンタルの差になるってことだと思う。
そんなんあったのか(笑)ヘラクレスの人の言葉覚えろよって言われたのは憶えてたけど。向こう行ってる時に日本に帰国してスパサカに出演した時、あんまりにも覇気が無いから加藤に怒られてたのを思い出した。
東京に帰ってきてからも指揮官に、お前はもう守備しないで攻撃に専念しろ!って言われていて全く意識が成長してないって思ったよ…
いや、この場合に皆が平山のメンタル面を指摘するのは素行の問題よりもプロとしてのもっと根本的な部分だよ
記事には意識変わって頑張る姿が書かれているけれど、それ以降の姿を殆どの人が怪我したから見れていないから平山は平山のままなんだよな
高校時代はマジで怪物だったんだよ、190cmオーバーの身長に確かな足元の技術、こいつとこいつと同学年のカレン・ロバート、三歳下の森本貴幸の三人で代表フォワードは安泰、当時そう思ってたなぁ
三人とも代表ではアレだったが
脚おられまくってる
二年前は出場時間当たりの得点率はJトップクラスだったが
ケガしちゃったし、移籍してそんでまた大ケガして復帰してまた骨折だろ?
ついてなさすぎだよ、心も折れちゃったんだと思うわ
怪我無くやれてたら俺は今頃不動の代表スタメンだったと思う