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って誰なの?
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中村俊輔


引用元:http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1525754211/0-
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中村俊輔なんじゃないの?
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中田ちゃうんか
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麻也
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地味だけど長友
11: 2018/05/08(火) 13:39:27.63 ID:8ZVhXKG5K
中村俊輔スコットランドリーグMVPやもんな
12: 2018/05/08(火) 13:39:56.09 ID:W0DDpGdJr
香川やろ
13: 2018/05/08(火) 13:39:58.43 ID:NrqEMzBTd
香川
15: 2018/05/08(火) 13:40:49.39 ID:OzGyJAjEr
翼を吹っ飛ばした奥寺
コメント
更にその下に岡崎と大けがさえしなければ武藤が入ってきそうだな
中田
中村の順
中田はローマでレギュラーだったら文句なく1位
ブンデス主力で2年連続で優勝の香川がダントツ
スコットランドリーグはJリーグとそれほどレベルが変わらない。
FIFAのプロリーグラング日本は30位前後、おそらくスコットランドは20〜25位くらい
流石に当時のセリエがトップリーグだったとは言えリアルでどちらも観てた人間からすると香川のほうが衝撃的。特にバイエルン戦。
中田中村岡崎が香川を認めてるから
プレーそのもので魅了された選手はセリエ、スコット時代の中村俊輔。そしてルマン時代の松井だな。
一年限定で大活躍する選手は結構多いからね
中田に関しては思い出補正というか、海外で活躍する日本人の例が少なかったから衝撃的だっただけで結果はそこまでじゃない
思い出補正という言葉はおかしいし、あまりにリスペクトが欠けた言葉だと感じる。
個人的に中田はそれほどテクニカルな選手とは思わないが、あの試合を読むセンスや落ち着き、フィジカルの強さなどは凄いと思う。それに真のグローバルな選手としてはダントツに凄い!言葉やコミュニケーション面でも一番凄いね。
でも・・プレーそのものでは俊輔の方がテクニカルで好きだね。
トップクラブに身を置くのは簡単じゃないしタイトルや在籍期間の長さは評価に値する
CLでも記録残しちゃったしなw
記録より記憶なのは間違いないと思うよ
現れないと思う。
リーグ&カップ戦優勝、UEFAチャンピオンズカップ準決勝進出までした
奥寺康彦とか言うスーパーレジェンド
中田は活躍という意味では最初のペルージャ時代だけじゃないか?
ローマではトッティの控えとは言えサブメンバーだし、その後はアジア人のパイオニアという海外向けの肩書きが付き実力以上に価格高騰してチームたらい回しされてたからね
マンU戦でのFK2発は誰の印象にも残ってるしFKの名手と言えば必ず名前が挙がるし常にトップ10入りもしている
これから後世に名が残るのも中村俊輔しかいない
クラブ 中田、中村、小野、香川、長谷部、岡崎
その小野が唯一敵わないと感じた選手が・・・「それは俊さんですね」
でも俊輔自身も小野には衝撃受けたという。
俊輔も遜色ないと思うけど、リーグ的にちょっと香川を推してあげたい。
まあ実際に実績では香川が抜けてるんだけど
文句なしに香川
時代を考えると奥寺もあり得る
中村は必須ミネラルとして評価された
香川は味覚のスパイスとして評価されている
よう分からんけどこんな感じ
これを見て勉強しろよ。
https://blogs.yahoo.co.jp/fluminense1984brasil/66700964.html
https://matome.naver.jp/odai/2150044982163882001
奥寺は当時の欧州最高の選手、ルンメニゲ(バロンドール2回受賞)と直接対決して通算5勝1分1敗で圧勝した。ブレーメン時代、奥寺は監督に「ルンメニゲをマークしろ」と指示を受け優勝を占う大一番を戦っていた。
ルンメニゲは「これは外交辞令ではない」と前置きして、当時、日本の雑誌のインタビューで奥寺康彦を絶賛していた。これだけ奥寺と試合して負けていたならば当然だろう。奥寺のマークに遭い1勝1分5敗である。
世界の名将から絶賛される奥寺康彦。
レーハーゲル監督(ユーロ2004優勝監督)は「奥寺は本当に頼りになる選手なんだ。私は今まで奥寺ほど頭脳的なハードワーカーの選手を戦力に持った事がない。チーム全員が奥寺の貢献度を高く評価している」と語っていた。
「奥寺はどんなポジションでもすぐに自分のモノにしてしまう。奥寺一人で選手三人分の仕事をこなしてくれるというわけだ。そりゃ、監督にとって理想的な選手だよな」と述べていた。
また「奥寺はテクニックとスピードを兼ね備えた選手だけど、なおかつチームの為に率先してハードワークをする選手なんだ。私はそこを一番評価している」と述べていた。
また2013年に彼は「獲得したら思った通りの素晴らしい選手だった。どんなポジションでもこなす事ができた。そして奥寺は闘争心があり、怪我の恐れをもろともしないで戦う選手で、申し分のない選手だった」と回想していた(NHKのインタビュー)。
ケルンは奥寺の活躍により14年振りの優勝を果たした。
奥寺がリーグ残り3節で3試合連続ゴールを決めて大活躍した内容について詳しく書くと以下の通りである。
1977-78シーズン、第32節、アウェーのカイザースラウテルン戦で奥寺は後半37分に追加点を決めてケルンは2-0で勝利した。
第33節、ホームでのシュツットガルト戦で1対1の同点の時に後半35分、奥寺が決勝ゴールを挙げた。これでケルンは2-1で勝利した。
この決勝ゴールは右サイド後方からの味方のクロスを相手DFがヘディングで跳ね返した。そのこぼれ球をペナルティー・エリア内の中央に居た奥寺がダイレクトで左足でシュートして決めた。この勝利はケルン優勝の為に非常に大きかった。
そして最終節のアウェーのザンクトパウリ戦でケルンは5-0で勝利した。この試合で、奥寺は後半15分と後半41分にゴールを決めて2得点した。奥寺は後半41分にケルン優勝を決定づけるヘディングのゴールを決めた。これは「月間ベストゴール」に選ばれた。
奥寺はケルン優勝に貢献するゴールを3試合連続で決めた。
これを見て勉強しろよ。
https://blogs.yahoo.co.jp/fluminense1984brasil/66700964.html
https://matome.naver.jp/odai/2150044982163882001
そこで執着するのは
ペルージャとローマ時代以外にもボローニャで凄かったしパルマでもそこそこ活躍した。
香川・・・所属チームの優勝回数、波があるがそれなりに活躍し貢献。
中村・・・世界に名を知らしめたキックの名手。スコットランドMVP。
長友・・・日本人初のビッグクラブ所属(中田かな?)。長年レギュラー。
吉田・・・プレミア日本人初成功例。
この辺が次点?
2シーズン目はリーグ・国内杯優勝でバイヤンは全て準優勝だった
ポカールでは大差で勝つほど強かったのに、CL決勝では負けたw
バロンドール受賞者はゼロだった。
だから奥寺の時代とは比較にならない。幾ら優勝しようが大した事はない。
奥寺康彦の時代のブンデスリーガはUEFAリーグ・ランキングがずっと1位だった。
バロンドール受賞者はたくさん居た。ブンデスリーガから一番出ていた。
つまり、当時、ブンデスリーガで優勝したチームは世界でも有数の強豪チームと
言っても過言ではなかった。
奥寺康彦、日本史上最高のサッカー選手。
バルセロナでも監督経験(2位)がある世界的名将の勧誘で欧州参戦して、最強リーグの2位チームで34才でも主力選手で活躍していた。
(欧州最強リーグ時代の)ブンデス・リーガで優勝1回、2位3回、ドイツ杯優勝1回、準優勝1回という傑出した成績。
【リーグ2位3回のうち2度1位と勝ち点が同じ。得失点差で2度優勝逃した】
奥寺はこんな凄いチームで外国人助っ人だった。
明らかに奥寺がナンバー1だろ。当時の外国人枠はたった2人だ。
ケルンはCLベスト4まで行った。
ディーター・ミュラー
ブンデスリーガ2年連続得点王。ユーロ1976大会得点王。ブンデスリーガ歴代4位、177ゴールを
挙げて引退した。
ベルント・シュスター
20才でケルン時代にバロンドール2位になった天才MF。
その後、バルセロナ、レアル・マドリード、アトレチコ・マドリードの3チームで司令塔を務めて
全てのチームでタイトルを獲得した選手。
ハインツ・フローエ
W杯1974年優勝、ユーロ1976年準優勝。
1970年代後半、ベッケンバウアーが「フローエはドイツでナンバー1の選手だ」と評価した。
1970年代後半のドイツ・ナンバー1選手。
ハラルト・シューマッハ
ドイツ代表GK。ユーロ1980年大会優勝。W杯1982年、W杯1986年準優勝。
そもそも小野伸二、中村俊輔が居たのは欧州で6番目ぐらいのリーグで、香川真司のブンデスは3番目ぐらい。中田はセリエAという当時の欧州ナンバー1のリーグに居たが下位チームでしか活躍してない。ローマに所属して優勝したが彼はベンチ要員であった。優勝に関わる大事な試合で途中出場して活躍したが、あの試合も途中出場であり、彼はローマ時代は基本的に控え選手であった。
つまり、後続の日本人選手の多くは欧州ナンバー1のリーグに在籍すらできていないのだ。
日本人選手が活躍しても大概、彼らは欧州で3番目とか4番目のリーグに居る。ナンバー1のリーグに在籍していても下位チーム所属がほとんどだ。欧州1位のリーグで優勝争いするチームに所属して何年もレギュラーで活躍したなんていう選手は一人もいない。日本サッカーの歴史においてそれを実現できたのは奥寺康彦だけである。
だから奥寺康彦が史上最高なのは当然だろうと思う。しかし、多くの日本人がその様な視点に立って奥寺を評価する事はまずない。全くおかしな話だ。
最近では奥寺康彦は2017年に日本人として初めてドイツ・ブンデス・リーガから「ブンデス・リーガ・レジェンド」として改めて選手時代の成績を称えられた。これは今なお、奥寺はドイツ人から名手として評価されているという証拠だろう。
ロートル挙げてるやつはただのおっさんの思い出補正な
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