1: 2020/05/21(木) 12:32:54.22 ID:8jUEzSfX9

リーガに挑んだ日本人(4)

2000年前後は、ヨーロッパが日本人サッカー選手を受け入れ始めた時代だった。欧州のクラブにとって、年齢が若ければ若いほど選手を"転売"して稼ぐことができる。青田買いも始まっていた。

1999年には、玉乃淳が15歳で、リーガ・エスパニョーラのトップ3の一角、アトレティコ・マドリードの下部組織に入団している。

きっかけは、「1999年ナイキ・プレミアカップ」だった。東京ヴェルディジュニアユースの一員だった玉乃は、バルセロナで行なわれたこの大会で、レアル・マドリードのジュニアユースと一戦を交えている。
カンプ・ノウの横にあったミニ・エスタディで、5000人近い観衆の声援を受けた。地元の人々にとって、宿敵マドリードと戦うチームの玉乃は"味方"だったのだ。

玉乃はレアル・マドリードの選手たちをあざ笑うようなドリブルを見せた。東洋人を見下していたディフェンダーが、勝手の違いに慌てふためく姿がたまらなかった。
アディショナルタイムには、わざとボールをキープし、力の違いを見せつけた。スタンドが地響きを起こすように湧きかえり、玉乃のアドレナリンで気分はハイになった。

「スペインは試合が盛り上がるし、"ここでやりたい"と思いました」

玉乃はそう振り返っている。

この試合で、彼はいくつかのオファーを受けた。そして、環境のよさそうなアトレティコとの契約を決めている。久保建英(マジョルカ)がバルセロナに見初められたように、そのプレーが認められたのだ。

玉乃は1年目から、攻撃の中心としてプレーした。8得点11アシスト。その後、欧州最高のストライカーのひとりになったフェルナンド・トーレスと2トップを組んだ試合もある。

「ジュン(玉乃)のことを忘れるはずがないよ! トーレスはユースやトップに召集されることが多かったから、僕がジュンと2トップを組んでいたのさ。あいつのアシストでたくさん点を取った」

当時のメンバーで、スペイン代表にもなったFWマヌ・デル・モラルはそう証言していた。1984、85年生まれの選手で構成されたチームは、無敵の強さを誇ったという。
招待大会は連戦連勝で、中田英寿がローマにいた時代のユースに5-0で勝ったこともあった。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200521-00894310-sportiva-socc
5/21(木) 6:20配信

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「ジュンは海外暮らしで、言葉や生活の違いは大変だったはずだ。けど、オープンな性格で、すぐにみんなと仲良くなったよ。

寮でも学校でもよくつるんでいた。なにより、選手として光るものを持っていたね。テクニックセンスは抜群。

レアル・マドリードに勝ってリーグ優勝したんだけど、ジュンはびっくりするほどきれいなオーバーヘッドを決めてね。あれは、しばらくチーム内で話題だった」(マヌ)

当時のチームは、精鋭ぞろいだった。飛び級でトップにも召集されたトーレスは別格にしても、マヌだけでなく1部で活躍することになる選手ばかり。
MFガビは、アトレティコの永遠のキャプテンとして、数々の名勝負を繰り広げている。

しかし、将来を嘱望された玉乃は、ユースからトップに昇格することができなかった。

多くのスペイン人選手は、まずアトレティコBというセカンドチームに昇格する。そこをプロ選手の登竜門として、経験を重ね、実力をつけていった。
ステップアップが必要で、トーレスのようにトップでいきなりエースというケースは例外的だ。

一方、玉乃はアトレティコBには昇格できなかった。そのシーズン、アトレティコBは2部B(実質3部)に降格。外国人枠の問題で、日本人である彼はプレーが許されなかったのだ。

「スペインにいた頃の自分はわがままで、すぐにふてくされていました。悪ぶっていましたが、本当はビビりだったと思いますよ」

玉乃は正直に明かす。

「アトレティコで3年目ですかね。身長が170㎝手前で伸びなくなった。今まで通用していたドリブルが、(リーチ差で)長い足に遮られるようになりました。

外国人選手は骨格も太くて、体を当てられると勝負にならないので、パス主体のプレーに切り替えました。もちろん、体質を改善しようとしましたよ。

寮食ではなく、近くのレストランと月契約して特別メニューを作ってもらっていました。牛乳は1日2リットル飲んで、ヨーグルトもたくさん食べて。

でも、下痢するだけでしたね。何をしても変わらなくて、周りはどんどん大きくなるのに、相当悩みました」

その焦りはプレーを蝕んだ。


監督と意見が合わず、衝突することが多くなっていた。」

ある日、練習をさぼって、無断でバルセロナに出かけたことがある。

一度だけ対決したことのあるアンドレス・イニエスタのプレーに、進むべき答えを求めた。

自分と同じ体形のイニエスタは、プロ選手とも渡り合っていた。

「結局、実力が足りなかったんだと思います」

玉乃は言う。

「当時、自分もアトレティコBに上がっていれば......と思ったことはありました。

でも、実際には上がっていないし、スペイン人だったとしても、上がれたかは怪しいですよ。自分は監督に口答えしていたし、いい子じゃなかったですから」

真剣に戦った年月に、彼は言い訳をしなかった。

この時代、同じように「ナイキ・プレミアカップ」でスカウトされ、エスパニョールに2人の日本人選手が入団している。しかし彼らもトップ昇格は遠かった。

育成組織を経て、プロデビューする、その門戸が開くには、久保の出現まで20年近く待たなければならなかったのだ。


4: 2020/05/21(木) 12:34:32.47 ID:CbDfZLZb0
玉乃は身長伸びてればなあ

 

引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1590031974


6: 2020/05/21(木) 12:36:07.55 ID:AiuQSrI80
結局ダメだったってか

7: 2020/05/21(木) 12:36:32.98 ID:UkUEgqsS0
へえー知らなかったわあ

13: 2020/05/21(木) 12:40:34.33 ID:wjDH1Kqy0
>>7
マジか

9: 2020/05/21(木) 12:38:35.83 ID:V84zQreY0
玉乃
家長

もう一人誰かいたよな?

10: 2020/05/21(木) 12:39:03.54 ID:nli6fPNN0
玉乃にはびっくりした
スペイン帰りとしてスカパー解説陣に期待されてたけど、ものすごいひ弱な選手でしたね
テクニックが有っても簡単に潰されるようでは駄目でした
Jリーグでも通用せず消えていきました

12: 2020/05/21(木) 12:40:19.47 ID:eXao7dvp0
今レアルの中井くんも日本帰ったら通用するのかな

27: 2020/05/21(木) 12:54:16.14 ID:KA85jAGx0
>>12
中井くんデカくなったからなあ

30: 2020/05/21(木) 13:01:42.69 ID:QElSFVNT0
>>27
背が高いだけでプレーが平凡になってしまったのは悲しいな

14: 2020/05/21(木) 12:40:54.77 ID:sb25yZ3S0
フィジカルトレーニングを軽視してJでもレギュラーになれなかった

16: 2020/05/21(木) 12:41:58.60 ID:IG4clC7S0
フィジカルがいかに重要かわかる
身長じゃないんだよね

17: 2020/05/21(木) 12:42:54.19 ID:eXao7dvp0
イニエスタなんかもかなり鍛えてるからな

18: 2020/05/21(木) 12:43:35.55 ID:HmQ3xoZ60
若いうちに海外に行った方がいい選手もいれば日本にとどまった方がいい選手もいる、正解があるわけじゃないから難しい

19: 2020/05/21(木) 12:44:28.54 ID:dKpbS1H00
>>18
宮市はどっちですか?

26: 2020/05/21(木) 12:51:55.09 ID:WVlZHws00
>>19
あれは体の限界以上の動きさせてるから日本に居てもスペってたと思う

21: 2020/05/21(木) 12:46:37.70 ID:i32tCNjc0
よみうりランドの全国大会懐かしい
邑楽に負けたわ

25: 2020/05/21(木) 12:50:20.41 ID:OijEYK6k0
玉乃二世って言ってた奴らはどこいった?

29: 2020/05/21(木) 12:58:31.01 ID:U6LFFVs80
大空翼かな?

31: 2020/05/21(木) 13:02:21.45 ID:jeTbM3lD0
チビヒョロでもバロンドール取れるんだから身長がー体格がーは言い訳にならない

32: 2020/05/21(木) 13:03:27.84 ID:Qj+hPbfy0
全然関係ないけど数年前(もしかしたら10数年前かも)に市船にいた小柄だけどめちゃくちゃ足の速い坊主頭の選手はどうなったんだろうか


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